その「声」の出現
エリオット・スミスは大学時代の友人のニール・ガストと一緒に地元ポートランドで結成したバンドHeatmiserで活動中の1994年にデビューソロアルバム「Roman Candle」をリリースします。これは知られている通り、当時のバンドのマネージャーでガールフレンドでもあったJJ ゴンソンが彼女のベースメントで録音されたテープを、地元のレーベルCavity Searchに送ったことによって実現したのですが、これにはエリオット本人も本当に驚いたようです。当時の主流であったグランジ・ロックの真逆を行くようなアコースティックな音楽が受け入れられる場所などどこにもないと思っていたのでしょう。
ソロ・アルバムをリリースした当時のことをJJ ゴンソンはPitchforkの記事でこのように述懐しています。
「私と彼は音楽の趣味が似ていて、何時間も座ってよく弾き語りをしていたわ。私の家の二階で、彼は何時間も何時間も曲を演奏したかと思えば、30分ほどベースメントに行ってテープに録音していたの。「Roman Candle」のサウンドは彼の指のちょうど前に置かれた低品質のマイクで録音したものよ。彼はアコースティックギター用のピックアップさえ持っていなかった。」
「アコースティックな音楽をやることは恥ずかしいことだった。誰一人としてやっていなかったし、皆が皆がさつな感じだった。あの頃ポップな音楽はありえなかった。エリオットと私は、ベッドルームの扉を閉めて誰にも聞かれないようにと願いながらピーター・ポール&マリー、ビートルズ、キャプテン&テニールのカバーをしていたの。エリオットがニールに初めてソロの曲、“No Name #1”のパートを聞かせたときのことは決して忘れないわ。笑われてしまって。それはショックだった。」
また、1998年にイギリス人音楽評論家のBarney Hoskynsがエリオット・スミスにインタビューした際の質問の中で、「君のその独特な、柔らかい歌声はどうやって生まれたの?」という質問に彼はこんな感じで答えています。
「僕は自分のバンド(Heatmiser)で歌う自分の声にうんざりしていたんだ。自分が思うようにバンドでは歌えないことが嫌だった。ライブではいつもすごく大きな声で歌わないといけないのに、自分の声はひどい風邪をひいているみたいなガラガラの奇妙な声で。でも僕はバンドをしているときも含めて十代の頃から一人で4トラックで録音し続けていて、この歌い方のほうが僕にはしっくりしている気がしていたけれど、他の人が気に入るとは思っていなかった。それに当時のアメリカのノースウェストではそんな音楽は「忘れてしまえ」と言わんばかりだった。だから僕は人前でやる勇気がなかったんだ。だけど今はそれを克服して良かったと思っている。自分の好きじゃない音楽をやるのは気が進まなかったから。」
もともと自分は大声で叫ぶ系のロックに向かないと悩んでいたとき、十代の頃から自作曲を宅録をし続けていたことや、ガールフレンドと一緒にアコースティックな歌を演奏をしていく中で彼のスタイルは確立され「Roman Candle」が生まれた。友人たちはその頃の彼はバンドのツアー中であろうと、いつでもギターの練習に没頭していたと証言しています。
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