Saturday 28 September 2019

エリオットとカバーソング (3) とフィンガーピッキング Shake Sugaree, Elizabeth Cotton



正式音源で、なおかつアコギギターが聞けるカバー曲ってひょっとしてこの曲だけ?

メアリー・ルー・ロードが1998年にリリースした『Got No Shadow』中の1曲で、メアリー・ルーがボーカルを、そしてゲスト・ミュージシャンとしてエリオットがギターを弾いています。

オリジナルはアメリカのフォーク・ブルースミュージシャンであったElizabeth Cotton(1893 –1987)が1967年に発表した『Shake Sugaree』の中に収められています。左利きなのでギターを逆さに持って、「コットンピッキング」と呼ばれる独特な2フィンガー奏法を聞かせてくれます。ほのぼのとしたボーカルも和みますよね。


でもこの曲を歌っているのはお孫さんのBrenda Evans

95年発行の音楽雑誌Yeah Yeah YeahのGreg Dwinnellとのインタビューでは、彼のギター奏法について少し語ってくれています。

Y3:君のフィンガーピッキングのスタイル大好きなんだ。メアリー・ルー・ロードの『Shake Sugaree』を聞いて君がプレイしているってわかったよ。

ES:うん、あれは僕だよ。僕はすごいテクニックがあるっていうわけではないんだけど、僕のフィンガー・ピッキングはちょっと風変わりで、あんまり指をたくさん使わないんだ。フラメンコのレコードから色々学んだんだ、フラメンコは弾けないくせにね。フラメンコの響きが大好きなんだ。で、弾けるようにトライしてたんだけど、出来なくて、結局おかしな亜流って感じにとどまっちゃったんだけどね。

なーんて謙遜してる感じですが、この演奏の軽快さと複雑さ、聞けば聞くほどうならされてしまいます。

Monday 23 September 2019

人に恋するという奇跡 - Say Yes


’That one is personal...”

久しぶりの更新になってしまいました。スミマセン。

エリオットの中の代表曲の一つであるSay Yesについて書いてみようと思います。この曲でエリオット・スミスが好きになったという方もいらっしゃるのではないでしょうか。アルバム『Either/Or』を締めくくる曲であり、奇跡的ともいえるシンプルで優しいメロディーが、アルバムに格別な余韻をもたせている気がします。ライブのセットリストにもほとんどといっていいほど入っていますよね。

エリオットはこの曲のことを、

「気違いじみているほど前向きな歌だよ。」「彼女とちょうど別れたときだった。僕は今まで誰とも一緒にいられなかったし、上手に向き合うことができなかった。でも本当に彼女を取り戻したかった。僕は自暴自棄になり、別れている間にこの曲を書いた。ファンタジーみたいなものだったよ。5分で曲と歌詞が出来上がったんだ。」

また、
『セイ・イエス』は特定の誰かについて書いた曲なんだ。そんなことほとんど今までしたことがないよ。僕は本当に誰かに恋をしていたんだ。

と正直に、誠実に答えています。

タイトルには、ジョン・レノンとヨーコ・オノの馴れ初めを思い起こさせる「Yes」という肯定の言葉が含まれています。「特定の誰か」とは、当時の彼女ジョアンナ・ボルム(ポートランドで活動するベーシスト)であることは間違いなく、エリオットにとっては本当に運命の人だったのでしょう。彼女のことを歌ったであろう曲は他にもありますが、やはり「セイ・イエス」が最強ですよね。

でも、何故この曲だけに関しては彼は「パーソナル」と言い放ったのでしょう?いや、他の曲も十分にパーソナルでしょう?と言いたくもなるのですが。。。

と考えていたら、こんなインタビューを見つけました。オータム・デワイルドが生前のエリオットの友人へのインタビューをまとめたトリビュート本に、ジョアンナのインタビューがあります。(彼女はもうあまりエリオットについて語ることはないのでかなり貴重かと)

「この間、私はなにか美味しいものを作りたくて自分の料理本を見ていたら、エリオットが買った料理本を偶然見つけたの。私は以前バーで働いていて明け方朝4時頃に家に帰っていたの。エリオットはいつも私より先に起きていたわ。時々彼は朝のトーク番組や『トゥデイ』とか、ジャック・ペパン(米国で有名なフランス人シェフ)の料理番組を見ていたわ。ある朝彼は出かけていって、ジャック・ペパンのSimple&Healthy Cookingを買ってきたの。エリオットは「いいレシピを見つけたんだけど、ディナーを作ってもいい?」と言って、それは豪華なディナーを作ってくれて、次の夜もまた素敵なディナーをふるまってくれた。(中略)彼は極めてクリエイティブな人で、彼の右脳はいつもフル回転で、でも左脳だって本当に機能的なの。彼には両方備わっていた。もし彼にマニュアルとか料理本を渡したら、彼は手順をちゃんと守るのよね(中略)彼は本当にオールラウンドな人だったのよ」

なるほど、私が思うに「セイ・イエス」の中で何度も何度も出てくる「the morning after」は、ある恋人たちー仕事で明け方に帰ってきて眠りにつく彼女と、彼女が眠っている朝の時間を過ごす彼ーのありふれた日常や、二人にしか知らない出来事や、共有した情熱が、彼女が去った後もずっとそこにある、そういったものを表しているような気がするのです。morning afterの意味を辞書で調べると、「二日酔い」や「後悔」の意味ですが、そこはエリオットの照れ隠しというか(コホンと咳払いで曲は始まるし)賢いところというか。

一人の女性の存在がこんなにも下らない世界を美しくしてくれることと、自分がしてしまったことの愚かさを、メロディの上がり下がりで表現し、途中、Crooked spin can’t come to restの部分から急に風が吹いたようにコードが変化することで、希望とも諦めともつかないようなものが現れ、それでも語り手はとにかく前に進むことを決心します。

NMEのインタビューでエリオットはこう言っています。

みんな自分の問題を抱えている、でも僕は苦しんでいるなら音楽はやらないよ。楽しいからやるんだ。なぜなら、、、だって音楽って本当に良く響くから。僕は僕が知っている人よりも悲しいってわけじゃない。それに、(僕の書く)全てのことが真実でもないし。僕の歌には悲しみはあるけれど、それを焦点にしているわけじゃない。人は幸福を見落としてしまう。全てはものの見方によるんだ。誰かが悲しい気持ちになることが、ある人にとっては幸せに感じることだってある。なぜなら、「わあ、今僕はこんな風に感じるんだ」って。人の感じ方は千差万別なんだ。

恋人との別れは悲しいけれど、彼女を取り戻したいとまで思って、自分がある人を本当に愛しいと感じれたこと。結果ではなく、そう思えた人生の奇跡についての歌を彼は「This is a happy song」と言って歌ったのではないかと勝手に考えています。

Say Yes 
セイ イエス


I’m in love with the world through the eyes of a girl
Who’s still around the morning after
We broke up a month ago and I grew up I didn’t know
I’d be around the morning after
僕は 朝が過ぎてもそばにいた 彼女の目を通して世界に恋をする
一ヶ月前僕らは別れ 僕は大人になった 僕が朝が過ぎても
ここにいるなんて知らなかった


It’s always been wait and see
A happy day and then you pay
And feel like shit the morning after
But now I feel changed around and instead falling down
I’m standing up the morning after
いつもことの成り行きを見てるだけ
幸せな日 そしてそのツケを払い
朝からずっとクソみたいな気分になる
だけど今は僕は変われた気がする ふさぎ込む代わりに
その朝に立ち向かおうと

Situations get fucked up and turned around sooner or later
And I could be another fool or an exception to the rule
You tell me the morning after
状況は最悪になっていずれ変わるもの
僕がただのバカな奴か、君のルールの例外になれるのか
朝が過ぎた頃君が教えてくれる

Crooked spin can’t come to rest
I’m damaged bad at best
She’ll decide what she wants
I’ll probably be the last to know
No one says until it shows, see how it is
They want you or they don’t
Say yes

まがりくねった渦は止まらない
僕はこれ以上ないほど傷ついている
どうしたいのかは彼女が決めること
きっと僕が最後に知るだろう
はっきりするまで誰も言うことはない どうなるか
誰かが君を求めても そうでなくても
yesと言って

I’m in love with the world through the eyes of a girl
Who’s still around the morning after
僕は 朝が過ぎてもそばにいた 彼女の目を通して世界に恋をする