Monday 25 June 2018

New Disaster


"Comforting" ー悲しみや苦悩を和らげることー

エリオット・スミスの音楽が語られる時によく見かける言葉です。誰にも話すことが出来ないことがあったり、話そうと思える人がいないときに救いになってくれるのが彼の音楽だと言われています。

私にも同じような経験があります。

図書館で安く借りたCDをコピーして、当時持っていたipodにインストールして時々聴く。今から10年近く前の私とエリオットの音楽の関係はごくあっさりとしたものでした。セルフタイトルとFigure 8 のアルバムでしたが、美しいメロディを奏でる人であるとか、優しい声だなとか思ったけれど、それ以上の思い入れは湧かず、人間関係で言えば、ただの顔見知りくらいの関係に過ぎなかった。

それが40歳を手前にして(今45歳なんですが!)彼の音楽が私に寄り添ってくれるような体験をしたんですね。

実は、私は自分の子供時代にコンプレックスがあって、親になりたいのか、果たしてなれるのかということに疑問がありました。ある種のトラウマのようなものが自分を常に邪魔をして、子供を育てることがどんなに素晴らしいと頭でわかっていても、怖くなったり、自信がなくなってしまう。随分と長い間、私は心のどこかで自分を好きではなかった気がします。20代の後半から30代後半にかけて、両親と距離を置いて自分を立直すのにすごく時間がかかってしまった。やっと私にもやれるかも・・・という気持ちになり、しばらくして妊娠したけれど、程なくして流産してしまった。

多くの方が経験されているように、私も悲しみの淵に立たされていました。何をしても涙が止まらない。ただ、ただ悲しい、苦しい。もう前には戻れない大きな出来事。

そんな時、Youtubeで偶然見つけたのが「New Disaster(直訳すると、新しい災難)」という曲でした。枕に突っ伏して泣きながらその曲だけだけをひたすらに聞き続けていたような気がします。何度も繰り返し、気が済むまで。

その曲は決して私を励ましたり、元気づけようとしたりしたわけではなかった。ただ、儚くて、静かで、美しいメロディや歌声が私の傍らにあり、包んでくれた。私は、今でもあの時、彼が途方に暮れていた私を見つけてくれたような気がしているのです。

あれから私はもっと沢山のエリオットの音楽を聴くようになり、歌詞について考えたり、彼の人生について考えたりするようになりました。でも私がいつも彼に対して思っていることは、どうにもならない言葉に出来ないような心の痛み、悲しみを何も言わず受け止めてくれるような音楽をつくってくれた、その感謝に他ならないのです。


Wednesday 13 June 2018

Guitar Player 8.98 Interview / ギタープレイヤー インタビュー(98年8月)

エリオット・スミスのソングライティングについてのインタビューです。誤訳、あるかもしれません。。。
原文はhttp://www.sweetadeline.net/guitarart.html                                                                                  
タイトル不明、インタビュアー不明、ギタープレーヤー19989月号より
 1998年度アカデミー賞の授賞式で「グッドウィルハンティング旅立ち」サウンドトラックからオスカーにノミネートされた曲「ミス・ミザリー」を(セリーヌ・ディオンとトリーシャ・イヤウッドの間に挟まれ)演奏して無名の状態から一躍世間に姿を現したエリオット・スミスを見た人々は困惑していたかもしれない。「あのアコースティック・ギターを持ったしわくちゃのスーツを来たシャイな男は一体誰だ」と。だがこの人間味あふれるフォーク・シンガーのギターを弾く姿や、切ないまでのウィスパーヴォイスを知る人にとっては、「ついに登場した!」となっていただろう。彼はスピンマガジンが選んだ「98年の最も重要なアーティスト」の1人であり、それは当然のことだ。彼の4枚目のアルバム「XO」(ドリームワークス)は緻密かつ知的でありつつも感情を揺さぶるような出色の作品となっている。

曲作りのプロセス
 曲を書く作業というのは待機戦術みたいなものだ。沢山やればやるほどチャンスが巡ってくる。あんまり意識しないで演奏し続けていると、びっくりするような何かが起きるんだ。僕は普段やりかけの曲を同時進行で沢山持っていて、毎日のようにあてもなくその曲たちを弾いたりしているんだ。きちんと腰を据えて、「よし今からこの曲を仕上げよう!」というふうに決めたりはしない。ただ自分が持っているものを弾くだけなんだけど、長い時間をかけるうちに曲が育っていく。大体の場合、僕の頭じゃなくて、手がそれを見つけてくれるんだ。

 以前は良い曲を書けるようなプログラムを見つけようとしたこともあったんだけど、色々と自分で試してみて、自分が考えた方法は全て失敗に終わったんだけどそういったことを考えないほうがずっといい。(曲作りにおいて)立ちはだかる一番の障害は、作り始めたばかりのものを良いとか悪いとか決めつけてしまうことなんだ。出来るだけ良い作品にするにはあらゆるアイディアに従ってみるべきだ。最初は容易に落ち込んでやる気がなくなってしまうもので、なぜならアイディアが思い浮かんだのに、「これはどこそこの曲みたいだ」とか「これはあんまり面白くないな」などと思い込んでしまうから。でも自分が取り組む作品が沢山ある程、もっと良いものに変えられると思える何かを引き出せたり、選択したり出来るようになる。

 そして、もう一つの問題は、ほとんどの書き手は自分の作品に対してはあまりいい判断ができないということなんだ。自分はこれは出来がいいから良いものだと思っても、他人は不出来であってもより興味深いもの含むほうを好きになるかもしれない。書き手は自分の成長を表現できる曲を選択するより、出来の良い曲を優先させてしまうものなんだ。そうした安易な選択が自分の曲作りを大幅に低迷させてしまうことは良くあることだ。

 自分が思いついた全てのことを試してみることがとても重要なんだ。ただ陳腐かもしれないという理由で試さないというのは違う。くだらなく聞こえるものと、すごくクールに聞こえるものとはわずかの違いしかない。ピカソは20世紀の最高の画家だと多くの人が認めるところだけど、僕は彼が他の人と同じようにひどい絵を沢山描いたと聞いたんだ。彼はただ他の人よりももっと沢山描いだけなんだ!彼は自分のやること全てが傑作であらねばならないなんて自分に強いたりはしなかった。自分の過ちから学べるから、全部やってみてあとから選んだらいいというような感じだったんだよね。

 コード進行
僕は経過和音(パッシングコード)がたまらなく好きで。例えばGD/f#Fといった流れのコードチェンジを弾く時のようなね。自分が好きなコード進行の種類にはメロディが半音下がる部分がある。ビートルズがそれを沢山やったんだ。そして、それこそが僕がトラディショナルな音楽で大好きなところなんだ。コードとコードをつなぐ場合に音符が大きく動く間にほんの少しだけ音を移動させる手段がある。半音上がったり下がったりするものには何でもいつも自分は引き込まれちゃうんだ。

歌詞
曲よりも歌詞のほうがはるかに沢山書くことが出来る。でも残念なのは言葉に本当に関心がある人はごく少数だ。音の迫力や耳に残るサビの部分に力を入れている人のほうが圧倒的に多い。「言葉を持つソニックユース」があれば格好いいだろうね。なぜならサウンド面やリズムの面では沢山のことをこのバンドはやっているから。

 ハッピーアクシデント
 僕が学んだ多くのことは、偶然起きたことやその頃は失敗だと思っていた事からなんだ。実際僕の好きな曲のほとんどは書いた本人さえもびっくりさせた曲だし。それは音楽における素晴らしいことの一つだ。自分が思っているよりも完璧になりえるんだ。あるとき、何もかもが上手くいって「わあ、すごい!」っていうふうに。

Saturday 2 June 2018

About

このブログでは、エリオット・スミスの音楽について調べたり、考えたりしたことを綴っています。

没後15年という月日が経った今でも、彼の音楽はまだまだ多くの人々を魅了し続けていて、古くからのファンだけでなく、最近は彼の音楽を聴いて育ったという次世代のミュージシャンも出てきました。実を言うと私も決して生前からのファンではなく、ここ数年で急速に「親密さを感じられるくらいに大好き!」になったのですが、過去の音源を聞いたり、インタビューを読んでいくうちに、私も彼の音楽から揺さぶられた何かを形に残せたらと思うようになりました。

エリオット・スミスについての日本語のファンサイトには既にBetween the Bars という素晴らしいサイトがあり、翻訳も含めて内容も充実しており、私も大変参考にさせて頂いています。誰に頼まれたわけでもないのですが、ちょっとしたその続きみたいになればとても嬉しいです。