1994年リリースのアルバム『Bakesale』から
セバドーは、もともとダイナソーJr.のベーシストであるルー・バーロウのサイドブロジェクトバンドで、ダイナソーJr.のギタリストのJマスシス(彼のドラミング好きです。)と仲違いして一時脱退していた頃に、エリオット・スミスをツアーのオープニングアクトに起用したことがあります。
Either/Orのレコードジャケットは、1996年頃一緒に回ったツアー中に撮られた写真が使われています。Facebookでルー・バーロウのコメントを見つけました。
「これらの写真は同じ日に、同じ場所で、ずっと昔に、それぞれ前後して撮られたんだ。上の写真はEither/Orのアルバムカバーに、下の写真は20年程箱の底で眠っていた。エリオットは、セバドーのツアーのオープニングアクトで、僕らのツアーマネージャーで申し分のないフォトグラファーでもあったデビー・パスターが、Phoenix AZ Clubにあったグラフィティのある鏡の前で僕たちの写真を撮ろうということになって...唯一のローディだったマイク・フラッドと、どこでも煙草を吸っているエリオットと一緒に撮ったんだ。その夜、僕が彼の車を運転したから、彼はサンディエゴまで夜通し運転せずに済んだんだ...数ヶ月後には、観客は彼が演奏しているときに話をしなくなったけど(このツアーではしていた。彼は知られていなかったから)彼は、人の目を気にしなくていいから、人が話しているほうが静まりかえっているよりいいと言っていたんだ。」
また、Pitchforkの回顧録ではこんな話も。
「・・・僕たちが一緒にツアーをしていたとき、フェニックスから、サンディエゴまで夜通し車を運転することがあったんだ。道中ずっと話し込んで、多分その時が一番彼を近く感じたときだ。当時のセバドーで僕は、「ドラマーをクビにしなくちゃいけない。最悪だ。彼は本当にいい友達なのに。」という状況だった。彼も同じような問題を抱えていて、ヒートマイザーから前に進もうしていた。バンドのメンバーは彼の親友で、ソロでいくことは彼にとって大きなチャレンジだった。クリエイティブに、アーティスティックに前進するためには、変化することや時に友人から離れることだってあると僕らは話し合った。彼は本当にスマートな奴だった。」
「フィラデルフィアのTheatre of Living Artsで、彼がサウンドチェックをしていたときを思い出すよ。僕はいつも彼のサウンドチェックを見ていたので、その場所に座っていたら、彼がビッグ・スターの『Thirteen』をカバーしたんだ。僕はただ涙がこみ上げてきた。音楽でいつも涙が出るなんてことはないよ。もしかしたら打ちのめされているときに、ジョン・レノンの『Love』を聞いたら、涙がこみ上げるだろう。空っぽの会場で、エリオットの『Thirteen』は衝撃的だった。僕がそこにいたことすら彼は気づいていなかったんじゃないかな。」
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